どうも、ぽん吉です✋
ふたば🌱は年少ですが、家庭学習にドリルを使用しています。
小学校受験するなら入試があるのでドリル学習は必須だとおもいますが、普通に公立小学校に進学する場合、幼児期からドリルをする必要があるのか、いろいろ家庭の方針が顕著に現れるところかなと思っています。
今回は、我が家が幼児期からドリルを使用する理由を考えてみて、ドリルは親のカンペ用の役割があるなと思ったことを書いてみました。
「日常生活で学べる」のは「上手い人」
いちは🌷の時は、いろいろ迷走期だったので、とりあえずドリルやっておけばなんとかなるんじゃないかという浅はかな考えでドリルに取り組んでいました。
で、いろいろ本とか読むと「幼児期にドリルなんて必要ないさ。日常生活で学べるよ」っていう考え方もあります。
実際に、幼児期にするドリルは日常で経験したこと、やったことある、知っているものをベースにしたドリルを選んだり、取り組むことが定番になっていると思います。
この「日常生活で学べるよ」っていう人は、
その時期に何が必要で、
どういう声かけをしたらいいか、
どう興味や知識を広げられる関わりができるか、
という大事なポイントを知っていて無意識下でも勝手に関われる人なんじゃないかなと思っています。
なんとなくそういうのが上手な人っていると思うんですよね。
自分は意識していないけど、そういう関わりができている人。
そういう場合は、ドリルとか必要ないなって思います。
子どもが見た先を言語化し世界を広げるために親の感度を上げる必要がある
真島先生の幼児教育の根幹。
子供の目の「先」に何があるかを見ること
つまり、子供が何を見ているかを見ること。
子供は、その視界に入るものを認識し、
必ず何かを感じ、考える。
でも、そこに「言語化」されてないものがたくさんあるはずなんだ。
その子供の興味や好奇心、そこに目を向けて言語化
子供の知ってる言葉と、そのまだ言語化されてない対象物や事柄を繋ぐこと
これが幼児教育の根幹なんだと思う。
その広げ方は自由。
まさに親の「言語化」の力量次第。
子どもの見た先を広げること、そしてそれを言語化を親がしようと思った時に、親自身が知識としてある程度しっておく必要がでてくるなと思うんです。
その知識を蓄える材料として、幼児ドリルは利用できると考えています。
幼児ドリルを親のカンペにする
幼児ドリルは、とっても丁寧に年齢ごとに分けられています。
同じ数を数える問題でも3歳と5歳では違います。
発達の差はあれど、そういう流れで少しずつステップアップしていくよっていう流れがドリルでわかるなと思います。
頭のいい人たちが、子どもが知識をつけていく過程や成長発達を加味してその年齢あたりに獲得するだろうモノをドリルにポイントとしてまとめてくれている気がします。
つまり、そのドリルで出ている問題を日常生活の中に落とし込めれるようにすればいいなと最近考えるようになりました。
幼児ドリルを親のカンペ用に利用したらいいんだと。
ドリルを子どもと一緒に取り組みながら
「こういう経験をさせてみよう」
「この問題は日常生活のこういう場面でも使えるな」
「これに興味があるんだな」
そういうストックを自分の中に貯めていったらいいのかなと思います。
そうしたら、日常生活で子どもが何か見た時に
「こんなことを言ってみよう」
「こんなふうに関わってみよう」
って親の知識の網目が密になって感度も上がってくることにつながっていくんじゃないかなと。
結局はドリルをどう活かすか
よく先取りで日常体験が不足して頭打ちになってしまうっていうことが言われたりしますが、あれも先取りが悪いわけではないと思うんです(素人意見ですが)。
ただバランスを間違えてただけではないかと。
ドリルに偏りすぎてもいけないよってことだと思うので、ドリルを使うなら、日常生活にその内容を還元させたいなと思っています。
終わりに
最近の学習目標は、ふたば🌱だけでなく、いちは🌷もそうですが、日常生活⇆ドリルみたいに相互に上手くバランスよく関連付けしていくことです。
日常生活だけで終わらない、ドリルだけで終わらない、そういう関わり方をしたいなと思っています。
また、子どもが成長していく過程を一緒に関わっていきたいなと思います😊
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
【いちは🌷小2/ふたば🌱年少】
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